疲労がすべてを塗りつぶすとき
働きすぎで、もうくたくただ。
朝起きた瞬間からだるく、体が重い。
なにか楽しいことがあったはずなのに、思い出せない。
目の前の出来事が、すべて色あせて見える。
「疲れているだけだ」
そう言い聞かせて、今日も仕事に向かう。
けれど、その「だけ」が、思っている以上に人生を侵食していることに、人はなかなか気づかない。
すべてがつまらない。
好きだったものにも、心が動かない。
笑う理由が見つからない。
それでも時間だけは流れ、やるべきことは積み重なっていく。
疲労とは、体の問題ではなく、世界の見え方そのものを変えてしまう状態なのかもしれない。
なにがなんだかわからない。
ただ「しんどい」という感覚だけが、確かな輪郭を持ってそこにある。
土日が来ても、回復しない現実
ようやく土日が来る。
本来なら、解放感があるはずの時間。
けれど現実はどうだろう。
目覚ましをかけなくても、早朝に目が覚める。
体は休んでいるはずなのに、頭は仕事のことを考えている。
結局、横になったままスマホを眺め、気づけば夕方になっている。
「休んだ気がしない」
その感覚だけが、週末の終わりに残る。
そして日曜の夜。
また月曜日が来るという事実が、重くのしかかる。
休みがあるのに回復しないのは、疲労が「量」の問題ではなく「質」の問題だからだ。
ここまでくると、人は疑問を抱き始める。
こんな状態で、幸福と言えるのだろうか?
幸福とは「元気なとき」にしか感じられないものなのか
幸福という言葉は、どこか抽象的だ。
お金、自由、やりがい、人間関係。
いろいろな条件が語られる。
しかし、疲れ切った状態では、それらすべてが意味を失う。
条件が整っていても、感じ取る側が機能していないからだ。
幸福度とは、人生の評価ではない。
「今、この瞬間をどう感じられているか」の積み重ねにすぎない。
つまり、慢性的な疲労状態では、幸福を感じるセンサーそのものが鈍ってしまう。
疲労が幸福度を下げる本当の理由
疲労が溜まると、人の脳は省エネモードに入る。
感情の振れ幅が小さくなり、新しい刺激を「面倒なもの」と判断する。
その結果、
- 楽しいことを楽しいと感じにくい
- 小さなストレスが過剰に重く感じられる
- 未来を悲観的に考えやすくなる
これは性格の問題ではない。
生理的な反応だ。
「前向きになれない自分」を責めるほど、幸福から遠ざかっていく。
【ここから解決編】疲労を回復させるという、最優先事項
もし幸福度を取り戻したいなら、最初にやるべきことはひとつしかない。
疲労を減らすこと。
やりたいことを増やす前に、やらなくていいことを減らす。
前向きになる前に、まず回復する。
幸福は、努力で無理やり作るものではない。
回復した状態で、自然に立ち上がってくる感覚だ。
行動①「休む」をスケジュールに組み込む
多くの人は、休みを「余った時間」に入れようとする。
しかし、それでは永遠に休めない。
休息は、予定として先に確保する。
何もしない時間を、あらかじめ決める。
休むことは、サボりではない。
生きるためのメンテナンスだ。
行動② 回復を邪魔する刺激を減らす
疲れているときほど、強い刺激に逃げたくなる。
SNS、動画、ニュース。
しかしそれらは、脳をさらに疲れさせる。
回復したいなら、「静かな時間」を意識的につくる必要がある。
音のない部屋。
情報を遮断した空間。
それだけで、回復は始まる。
行動③ 幸福を「感じられる状態」を目標にする
成功や成長を目標にすると、疲労は無視されやすい。
だからこそ、目標を変える。
「今日は少し気分が軽いか」
「呼吸が楽か」
その小さな指標を大切にする。
幸福とは、達成するものではなく、回復したときに戻ってくるものだ。
まとめ:疲れ切った状態で、幸福を判断しない
働きすぎで、疲れ切った状態。
だるく、すべてがつまらなく感じる日々。
そんなときに、「自分は幸せなのか」と問う必要はない。
その問い自体が、疲労から生まれているからだ。
まずは回復する。
幸福は、そのあとでいい。
疲れが抜けたとき、
世界は、思っているよりもちゃんと色を持っている。
解決策の根拠となる書籍(3冊)
①『』(近藤一博)
要約:疲労は意志の弱さではなく、脳と自律神経の生理反応であることを科学的に解説。
結びつき:疲労を責めず、回復を最優先にする姿勢の根拠。
②『幸福の「資本」論』(橘玲)
要約:幸福は条件ではなく、感じ取る能力によって左右されると説く。
結びつき:疲労によって幸福度が下がる理由を構造的に理解できる。
③『スタンフォード式 最高の睡眠』(西野精治)
要約:回復の質が人生の質を決めることを、睡眠を軸に説明。
結びつき:「休んでも回復しない」問題への具体的アプローチ。


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